どうしても苦手な人がいる人
どうしても関わりたくない人
顔も見たくない人
そういう人がいる人がいることを知っています
私にはそういう人が居ないし同じ空間に居ることが嫌だと思う人がいたこともないので
完全に理解はできていません
今回はそんなお話
どうしても「無理」な人がいるということはその人の存在も許容できないということなのでしょう。過去に関わる機会があって、どうしても許せない行動を見てしまったり言われたりされたりしたのだと思います
そういった経験から、この人は私にとって、人としてやってはいけないことをやってしまったということですかね。自分法に反してしまったということかな
私の場合、ある方の行動が許せなかった場合はなんとか伝えますね
伝えることすらしたくないほど無理になってしまうのってどういう感覚なのでしょうか
これは現在の私にはまだわかりません
ある集まりの参加を求めたとき、どうしても「無理」な人が同じ会に参加するから行きませんということを今までに何度か言われたことがあります
そういう場合に私は、人数も多いし大体グループが何個かできることが予想出来て被ることは無いからおそらく最後まで関わらないよなどともう一押し参加を促すことがあるのですが、本人からしたら「同じ空間に居る」ということや「いがみ合った関係を知っている周りに問題の二人が接触しないように気を遣わせる」ことが本人は耐えられないのであって、それが誘ってくれた方や気の合う仲間との楽しい時間や
会の内容と参加する目的を越えているのだということに最近気づきました。情けない。やはり勉強不足は罪だなと思いました
誰とでもかかわりたいし、チャンスがあれば多くの人の思いを聞きたいと思っている
私にとっては周囲の一人一人の状況を考慮して何も押し付けず、信用できる人でありたいものです
私の思いが暑苦しく思われそうだなと思ったら近づかず、誰かが落ち込んでいて
私が話を聞けるに値する人かも?と思ったら話を聞いてみる
人付き合いにおいて、「攻め」と「距離を置く」と「守り」を上手に使い分けられる
人になりたいものです
私にとって「無理」な人はいない(と思っている)のですが、関わってはいけない人や関わってほしくなさそうな人というのは人生でたまに出現します
例えば、仲が良かったけどいろいろあって「関わると良くない」とされてしまったり
ある人には私より大事な人がいて、その中に私が入ってはいけないときなど(よくわかりませんね笑)
そういう場合は極力関わる機会を減らす努力はします
相手の行動パターンから、なるべく接触しないような行動に変更するとかネタはあってもむやみやたらに話しかけないとか。書いてて思ったのですが結局相手をみるという行為を辞めてはいないですね。私
大体の場合、関わる事を辞めた人や苦手になった人とは、そういう選択をしなければならなくなるほど距離が近くなった過去があるはずです
今はどうであれ、過去に心を通わせた相手の事を無下に扱うことは自分の価値を下げることになるんじゃないかと思ってしまいます
全然違う話かもしれませんが簡単な例だと、元カレや元カノの悪口を言う人
一度は好き合うほど無心で信じた相手を悪く言うことは
自分も同時に貶めているので、やめましょう
人は心の距離が遠い相手に対して、その相手の事を「知性」が低いものと判断する傾向があるそうです
大好きな人や尊敬している人は
自分より思考が深く、自分には思いもつかないような事を考えている
あの人はすごいんだ!と思うのに対して
嫌いな人は「頭が悪い、ろくな奴じゃない」と思うことがあるかと思います
かと思いきや、お気に入りの人形に対して名前を付けて会話をする方もいるでしょう
そんな方からすれば、その人形は「無理」な人よりもはるかに賢くて気遣いができて良き相棒であることでしょう
でも、人それぞれいろんな価値観があってみんないろんなことを考えています
人の事は分かりませんが、わからない人の事を自分より下に見たり単純に拒絶するのは
もったいないかもしれませんね
自分の気持ちが悪くならないのであれば、体力の持つ範囲で
いろんな事、モノ、人を受け入れていくスタイルの方が楽しく過ごせそうです
今日はこんなところで
ではまた
明日の良い日へ